宇宙霊の心は絶対に積極である。
心を積極的にもつようになると、要らない事はどんどん忘れてくれ、要ることだけを覚えてくれる。
心を積極的にしてみなさい!論より証拠。事実がそれを証明する。
病は忘れることによって治る。だからどんな場合にも、自分の自我の中に宿る無限我、言いかえれば宇宙霊エネルギーを余計いただいていることを疎かにしないことだ
本当に自我の中に宇宙霊という無限我は入っているこということを夢にも忘れてはいけない!
「大偈辞」大いなる悟り;
「あゝそうだ!!吾が生命は宇宙霊の生命と通じている。
宇宙霊の生命は無限である。
そして、不健康なるものや不運命なるものは、宇宙霊の生命の中には絶対にない」。
以上が「大いなる悟り」の偈です。
4月は出かけることが少ないためブログの更新24回を記録した。
5月も頑張ります。ありがとう。
2025年4月アーカイブ
著者の福島香織女子は、気骨のあるジャーナリストでして、私が中国関連で唯一定期購読いるメグマガです。ですから女史が書かれています内容はほぼ掌握していますが、ご祝儀に買いました。
でも、私は今年から中国関連の著書も読まなくなりました。読んでも気が滅入るだけで少しも心が豊かにならないからです。旧態依然、呆れるほどつまらない国になってしまった。
1966年の文化大革命の時から始めた中国ウオッチャーですが、そろそろそろそろ距離を置いて卒業したく思っています。
これまでありがとう。
「昭和の日」、2冊の本を取り寄せた。
昭和10年代に130万部というベストセラー、杉本五郎陸軍中佐の「大義」と城山三郎著「大義の末」、大義に捧げた青春と挫折。
「大義」は終戦時にGHQよって焚書になった、さもありなんの狂気な著書です。
どちらの本も数ページ読み始めて気が滅入り、やめてしまった。齡を重ねた私にとってもう読みたくない焚書でした。
昭和を生きたそれぞれの人に、それぞれの昭和がある。私たち世代は昭和のいい時代を活きてきたようだ。ありがとう。
「言葉は人生をよくも悪くもする力がある」
「常に言葉に慎重な注意を払い、如何なる時にも、積極的以外の言葉を使わぬように心がける。そうすると暗示の法則を応用した事になり、健康も運命も完全になる」。
これは私が今年から極力実践している事です。国内外の情勢を見ますとついつい批判的な言葉を口にしてしまいますが、私にとって良くない影響を与えてしまうからです。
言葉の誦句:
「私は今後かりそめにも吾が舌に悪を語らせまい。
否、一々吾が言葉に注意しよう」。
人間の生命と宇宙生命とは一筋の流れの中にある。
心は潜在意識と実在意識の二つの作用を行う領域があり、潜在意識は、実在意識を通じて、宇宙霊と結ばれている。であるから、潜在意識は宇宙霊と同様、一切の物を作り産み出す創造力を有している。
潜在意識は肉体にも精神にも驚くべき影響を与えている。それは建設と破壊に深い影響をいる。
かくして「人間本質の自覚の誦句」:
「人は宇宙霊のもつ無限の力と結び得る奇しき働きもつものを心の奥に保有す。
人の心の奥には、潜在勢力という驚くべき絶大なる力が、常に人の一切を建設せんと待ち構えているが故に、如何なる場合にも、心を虚に気を平にして、一意専心この力の躍動を促進させよう」。
以上が潜在意識と性能についての解説です。
偉大なる潜在意識にありがとう。
さらば「モスクワ愚連隊」の五木寛之氏が93歳になったとのことで、この本を買ってみた。
相変わらずホットな時流の中を巧みに泳ぐ氏に敬意を表します。危うく「オレたちはどうボケるか」と、仲間に入れられそうでした。
ボケは誰にでもやってくるなら、これを「健康法」としてでなく「養生法」として肯定的に明るく捉えようとする発想の転換はさすが五木流です。「養生」生を養うとはいい言葉です。
著書に「歩行力」もありましたが、私も歩行力がかなり弱くなりまして4000歩を境に脚がふらついてきます。1万歩までは普通に歩けるように努力している最中です。
歩けることに感謝です。ありがとう。
「宇宙霊は、霊智ある大生命」「蒔いた種のとおり花が咲く」
「生きていることが、人間が宇宙霊(気)の力に抱かれている証拠」
「およそ人生には厳格に支配している法則がある。それは原因結果の法則である」
「心が何か思ったり、考えたりすると、ただちに宇宙霊が、その心の状態のとおりに働き出す」
「宇宙霊のもつ創造力は、心にきざまれる思考、観念に従って、積極方面にも消極方面にも活動する」
「常に心のなかに積極的な思考や観念を描くことに努力し、それをc宇宙霊に反映させ、見える形に変化させることに心掛けねばならない。」
以上、天風師の言葉を書き出しました。そして「思考作用の誦句」となります;
「吾は今、宇宙霊の中にいる。宇宙霊なるものこそは、万物の一切をより良く作りかえることに、常に公平なる態度をとる」。
宇宙霊に感謝です。ありがとう。
「心の思考がその人の人生を創る」
「人間の健康も、運命も、心一つの置きどころ」
「人間の生命に与えられた活きる力というものは、肉体に在るのではなく、霊魂という気の中にある。霊魂という気の力が肉体を活かしている」。
「心とは生命の本質たる目に見えない霊魂という気の動き対する名称である。心が思ったり考えたりすることによって霊魂の活動が表現される」。
「霊魂を通じて、その霊の本源たる宇宙霊に通じている。しかもこの宇宙霊は一切の万物を創造するエネルギーの本源である」
「元気という気が出たときに、人間と宇宙霊とが結びついたことになるからである」。
以上すべて「いのちの力」からの書き出しです。
ここから「力の誦句」に入ります:「私は力だ。力の結晶だ。何ものにも打ち勝つ力の結晶だ」。
何とも力強い誦句です。ありがとう。
「天風瞑想録」は、天風師が毎年夏の真理瞑想の講義として出版されました。
第1章「いのちの力」1973年の創刊から1978年の第13章刊行まで5年間かけていました。
この各章を1988年「天風会創立70周年記念」に、合本愛蔵版が出版されました。
その後1994年に講談社から「運命を拓く」―天風瞑想録―として出版され、天風ブームを巻き起こし、天風会を越えて多くの方々の著書となりました。有花自然香。
ただこの瞑想録にはなぜか「誓詞」と「活力吸収法の誦句」が掲載されていません。
これは朝礼時に会員に向けた「誓いの言葉」だからなのか、また、天風師が直々に垂迹された「プラナヤマ密法」だからなのか、機会がありましたら直弟子の方に聴いてみたく考えています。
ありがとう。
「天風瞑想録」序章=朝旦偈辞(甦えりの誦句)の熟読から入った。
この章の重点は;
「人間の心で行う思考は、人生の一切を創る」
「心の思考作用と、宇宙本体の創造作用とは、別々に分かれているのでは無く、本質的に、一つのものである」。
「心というものは、万物のすべてを産み出す宇宙本体の有する無限の力を、自分の生命の中へ受け入れるパイプと同様であるというこことである。」
いきなり宇宙本体と心の思考が出てきますので、読む者をしてこれは一体なんだと戸惑ってしまう。
末尾の朝旦偈辞(甦えりの誦句)の冒頭を、私し流に変えてみた:
「私は今、宇宙霊と一体となって甦り、力の結晶だ。私の信念強くなり、新しき元気をもって、正しい人間としての本領の発揮と、その本分の実践に向かわんとするのである」。
この句は朝礼の時に、天風師が会員の前で直々に誦句した最も厳粛な儀式でした。「自己を完成することに努力しようと結んでいます」。
自己を創り上げることは実践なのです。ありがとうございます。
近所に住む幼友達はもう2人しかいなくなり、一人は大工さん、一人は量子技術研究所を退職した隣のトンコちゃんです。
二人とも昔の面影はありませんし、時おり挨拶を交わすだけです。
先月26日に隣保班の班長引き継ぎ会議があり、4月から私が班長になりました。でも私は留守が多くて班長を務まりませんので、隣に住む姉に肩代わりしてもらいました。
その引き継ぎ会議の時に誕生日の話が出ましたら、トンコちゃんが、私の誕生日を知っていました。なぜ知っているかとお思いましたら、私の一つ歳下で誕生日が同じだっことを、すっかり忘れていました。
写真はトンコちゃんの庭に咲いたボタンを断りなしに垣根ごしに撮りました。
今日から「天風瞑想録」の熟読に入りました。ありがとう。
アマゾンお薦めスピリチャルの関連本はこれで打ち止め。
スピリチャル関連の王御所の三者対談でしたので拝読。まさしく見事に三者三様のトリプル対談で百花繚乱、話題が次々に飛躍し、頭が整理できぬまま「で何なの」で、読み終えてしまった。
今回は右脳、左脳の話題でなく、日本の母音語族と欧米の子音語族にわけていました。そして、はせくら女史の結論は:人間、時間、空間と日本文明は「間」の美学で、未来のノチの世、過去のサキの世が交差するイマの「マ」を通し時空を超えた所に「神代在今」の中今に神が座すとしていました。
矢作氏;「伸びやかに、軽やかに、あなたのままに」。
保江氏;「愛おしゅうて愛おしゅうて、可愛うて可愛うて」、世界の中で本当の意味で大調和を成せるのは、今のところ日本人しかいないと様々でした。
あ〜天風哲理がなつかしくなった。スピリチャルをやめて現実に回帰し、明日から天風に戻ります。ありがとう。
1月4日のブログ天風の「言葉の誦句」で、今年から国内外の政治的な批判を出来る限り止め、極力見ないことにした分だけ読書の時間になっています。もっと早くにそうすべきでした。
そして消極的な言葉をできるだけ使わないように心がけました。批判することで私の運命と精神的健康にいい影響をもたらさないからです。
徹底して「言葉の誦句」を実践し、同時に全ての事を感謝にふり向け、清々しい毎日を過ごすよう心がけています。
言葉の誦句をもう一度書いてみます:
「私は今後かりそめにも吾が舌に悪を語らせまい。否いちいち吾が言葉に注意しよう。
同時に今後私は、最早自分の境遇や仕事を、消極的な言語や悲観的な言語で、批判する様な言葉は使うまい。
終始、楽観と歓喜と、輝く希望と、溌剌たる勇気と、調和に満ちた言葉でのみ活きよう。
そして宇宙霊の有する無限の力をわが生命に受け入れて、その無限の力で自分の人生を正しく建設しよう」。
そうなるように努力しています。ありがとう。
4月2日のブログで「幸せの法則」を、翻訳した白髪のご婦人と知り合いになり、アマゾンで2冊購入しました。
案の定アマゾンAIから類似本のお薦めメールが何度も来ました。しばらく無視していましたが、ちょっと気になったので買ってしまった。
「はじまりの時、光を観じ、愛に生きる時代」を、8ページほど読み進めましたがあまりのスピリチュアルな内容で、たまらなくなり投げ出したくなりました。
我慢してさらに14ページまで読み進めますとポジティブな右脳派のスピリチュアル VS ネガティブ左脳派のスピリチュアル対話でした。
左脳派は「僕は本当に『愛』の世界からほどとおい人間なので『愛』を口にするだけでも恥ずかしくて仕方ないんです」と、左右脳両サイドからの対話に興味を持ちました。
世の中にネガチィブ左脳派のスピリチュアルという人もいるのですね。これまでの経歴から見てもなかなか面白い方で、よい勉強になりました。
明日は司馬さんの「高野山みち」に入ります。ありがとう。
今日はバスで東京に出かけトンボ帰りしてきた。インバウンドのためかホテルの価格が高騰し最近は日帰りしています。
東京の気温は23度まで上がり半袖の人もちらほらでした。
帰りのバスが上里サービスエリアで休憩をとり手洗いに寄りますと、数十羽のツバメがチュチュ鳴きながら巣作りを始めていました。もうツバメが「神里」に帰ってきました(ツバメの動きが速すぎ写真を撮れず昨年のものを使用)。
帰ってきたツバメを見ていたらなぜか心が温まり嬉しくなってしまった。
私の家にも帰って来てくれるかな?去年はカラスの縄張りなのか、カラスに追われてしまったが、巣はそのままに残してある。
楽しみに待つことにする。ありがとう。
今日は一日雨、春雨なのかな。
5月に予定していた街道を行くシリーズ9、「信州佐久平みち」を、読んでしまった。
司馬さんの本を卓上に置いとくと、つい手にして読み始め止まらなくなり気がつけば読み終えている。
司馬さんにしては珍しく小諸の食堂で受けた印象が悪過ぎてしまいよく書いていません。そのため小諸城を観ずにスルーしています。
小諸城は私の人生決めた大切な場所でして佐久に行くたびに立ち寄った所でして、6月の望月温泉での行修会の帰りにも行く予定でいます。
ですから再読にあたり小諸の箇所を飛ばして読もうと思いながらやはり読んでしまった。まあいいか。
司馬さんがどう描こうと、私にとって佐久と小諸城はスルーできない大切な場所となっています。ありがとう。
「日本で最初の富岡製糸」(上毛カルタ)
「富岡日記」は、明治6年(1873)信州松城藩から富岡製糸場に伝習工女にきた和田英さんの回顧録です。2014年に世界遺産に登録されるのに合わせて出版されました。
著者は当時の富岡町は城下と名ばかりで村落の有様に驚き、また富岡製糸場の門前で煉瓦造りの大きな建物を見て実に夢かと驚いています。
明治政府の気負いと村落の冨岡はここから始まりました。ここに描かれています純粋無垢な女工たちの姿に胸が打たれます。
私は小学1年の時に同じクラスだった女の子が、製糸場内の社宅に住んでいまして、何度か遊びに行きました。まもなく幻のごとくどこかへ転校して行きましたので、鮮明な記憶として残っています。
でも折あるごとに同級生に聞いても誰も彼女を知りません。苗字と名前が格別でしたので、先日製糸場の社宅を見学した際に調べますと、古いアルバムに名前と写真を発見しました。やはり実在していました!
夢でなかった!ありがとう。
読書熱が続いている。
司馬さんの「モンゴル紀行6」の勢いのまま「沖縄、先島への道9」を読んでしまった。
差しいって急いで読まなくもいいのですが、司馬さんの本は読み始めると実に面白く「どうにも止まらない〜」。
そして今日また「信州佐久平みち、潟のみち9」を注文した。6月に浅間山を見上げる佐久での新緑の行修会があり、これに備えて5月に読む予定でいます。
こんなことでしたら「街道シリーズ」を、アメリカで整理せずに日本に送ればよかったです。
「沖縄、石垣島から台湾へ道」は、来年行きたく考えています。日本に返還される前に訪問したので、今では私のイメージする石垣島とは大きく違ったものだと思う。
また、6月に行くモンゴルも、私が憧れていた想像と大きく違ったものと思うが、やはり行ってみたい。かの地で活きた人と逢ってみたいからです。
未知との遭遇。ありがとう。
散歩を始めて1週間、足がだいぶ慣れてきたようです。
桜の咲く城山を見上げながら北川べりを4500歩の散歩でした。ふと城山に登る衝動に駆られましたが、「ほどほどに」足るを知れと思い返しました。
今日は旅行社からモンゴルツアーの資料が来ました。全国各地から参加する人が13名となり、参加者の職業が記載されていました。私はいつも空欄か無職で申請していましたが、旅行社が機転をきかし勝手に「作家、会社役員」と書いていました。なるほどね。
アマ作家という職業があるのか知りませんが、何かスッポリ納まりました。これまで10冊ほど本を出していますし、80歳までにもう1冊書きたく考えていますので、これからも恥じらいなく「作家」を、使いたく思います。
作家とはありがとう。
我が家の裏にそびえる城山の桜が満開、にわかに頂上(220m)まで登りたくなりました。
子供時代は休むことなく一気に登ったものですが、さて今年はどんなものかな?
気合を入れ自転車のヘルメットをかぶり戦時体制で挑戦でした。
まだまだ行けるぞ! 有難う
モンゴルに向けて足の強化と4月から散歩を開始と思いきや、連日の雨、雨、雨。
3日の午後から雨が止んだので散歩を始めたが、4000歩で足がふらふらでバランスが取れず思うように進まない。
一冬でこんなに足が衰弱するものかと自分でも驚いてしまった。まだ2ヶ月半あるので正常に戻すことにする。
散歩路にチューリップ畑がありそこで春を感じながら一休みでした。
ありがとう。
榛名山行修会の参加者には、個性的な面白い人がたくさんいます。
今回はぜんぜん個性を感じさせない、もの静かで品のいい白髪の老婦人がいました(お歳は控えますが、1945年小学1年の時に避難した沼津で大空襲を経験しています)。名前は何かの本で記憶していたと思うのですが、また集会でも何度か見かけていましたが、会話を交わしたのは今回が初めてでした。いつも薄緑色の甚平服を着ての参加でした。
驚いたことにその方が上の写真のような本を数冊翻訳していました。現在は波動インストラクター、気療師の資格を習得しているようです。お見それしました。
「訳者あとがき」を読みましたが、人生をもうすでに達観された方が、天風行修会に参加されるのか興味を持ちました。次回に話をお聞きしたく思っています。有難う。
4月を元気に始めます。
花冷えのする雨のなか、石垣島の友人から「当地はすでに海開きとなり、うりずん(若夏)の季節を迎えています」と暑いメールが来きた。
私のモンゴル行きを知り、彼もだいぶ前にモンゴルに憧れ開高健の「モンゴル大紀行」を読んでいたとのことでした。にわかに開高健を懐かしく思い出し早速アマゾンに注文。
また司馬さんの街道を行くシリーズ「モンゴル紀行」の次は「沖縄、先島(石垣島)への道」という事でこちらも購入しました。
どうやら「モンゴル紀行」の次は、58年前に訪ねた「沖縄、石垣への道」になるのかな、、、
「いつ頃になるのか、、、風に誘われるとでも申しましょうか、ある日、フラッと出ていくんです(車寅次郎)」
ありがとう。